ワフワ毛になるに間もありますまい。」
 そしてそのかなり調子のなだらかな言葉を自分の髪の中に編み込む様に耳を被うてふくれた髪を人指指《ひとさしゆび》と拇指の間で揉んで居た。
 のけものにされた様にして居た篤は千世子に髪の結い方をきいた。
「何んになさるんです?
 私の髪なんか。」
「何て事はないんですけど、
 あんまり見ない形だから。」
「そいじゃあそのまんまにして置いた方がようござんすねえ。」
 千世子は人の悪い笑い様をして話そうともしなかった。そして足をコトコト云わせながら低く子守唄を歌った。
「いかにも子守唄らしい歌ですねえ、
 むずかしいんですか?」
 肇はしずかに云った。
「いいえ何んでもないんですよ、
 教えてあげましょうか。」
「でも駄目らしゅうござんすねえ、
 まるで素養がないんですもの。」
「音楽なんか君天才さえ有れば鳥の歌をきいてたって名人になれるさ。」
「その天才がてんでないんだよ。」
 三人は取りはずした様にフフフフと笑った。
 それから三人の間には音楽の話が始まった。
「私はね、
 あの火焔太鼓や箏なんかがどうしてもいいと思いますよ、
 あの何となし好い色の叩いて見た――あい形をしたのをねえ、
 美くしい稚子がその前に座って舞楽を奏した時代がしのばれますよ、
 あの時代には御飯なんか喰べずとも生きて居られた様にさえ思えますねえ。」
 千世子は細い目をしながら云った。
「雨のしとしとと降る日なんかねえ、
 一寸思いがけない処で三味の音をきくと思わず足が止まります。
 『つばくろ』を抱えた娘になんか会うと羨しい気持がしますよ、
 あの細っかい旋律が私の心に合ってるんです。」
「篤さんは?」
「何んでもです、
 何んでもすきなんです。」
「貴方の奥の手ですよ、
 でもあんまりいいこっちゃあありませんねえ。」
 千世子はかなり真面目な調子で云った。
 篤は少し顔の筋をつめた。
 でも千世子はすぐ笑いながら大きなおどけた調子で云った。
「貴方は万事万端その調子で切りさばいてでしょう?
 中々どうしてどうして。」
「そんな事って。」
 篤は間の悪い顔をして笑った。
「まるで違う事ってすけどねえ、
 あんまりこの頃あがりつづけたからこんどは少し間を置いてからに仕様ってね、
 今日も云ってたんです。」
 肇は篤の方を見ながら云った。
「そうですか。
 そんな事どうでもようござんすねえ、
 気が向いたらいらっしゃるがいいし、
 そうでなかったら御やめなさるがいいし、
 御義理ずくで『いやいやながら』でなけりゃあどうだってようござんす。」
「ひまっつぶしでしょう。」
「そうでもありませんよ、」
「仕なけりゃあならない事はいつだって仕ますもの。」
「でもねこの近いうちにどっかへ一寸行って来たいと思ってるんですよ。」
「どこへです?」
「海へ。」
「山は御いやなんですか。」
「山ってば温泉の近所ででもなけりゃあ静かすぎましょう。
 私は小ぎたない山ん中の温泉なんかあんまり好きませんもの、
 温泉なんかへは気の合った友達とでも行かなくっちゃあ居られるもんですか。」
「私は百姓達にまじって下手な義太夫や講談をきくのがすきなんです。」
 篤は徒歩旅行をしてそこいら中の温泉を歩き廻った時の事を話した。
 真黒な体の男や女が山の中の浅い井戸の様に自然に温泉の湧く穴につかってガヤガヤさわいで居るのを見た時はまるで南洋にでも行った様に珍らしさと気味悪さがゴッチャになって大いそぎで帰ったなんかとも云った。
 千世子は山形の五色の温泉へ祖母と一緒に行った時、湯殿をのぞいて居た青光りのする眼玉を思い出して身ぶるいの出る様な気がした。
「私の行った温泉の中で飯坂の温泉はかなり気持がようござんしたよ。
 私は妙に東北の温泉へばっかり行きましたからねえ。
 和久屋ってね、
 昔お女郎屋をして居たんだって、
 作りなんか、かなり違いましたけど磨きの行き届いた広い階子や女王のきゃしゃな遊芸の上手なのなんかはどことなし他所と違ってました。
 雨なんか降ると主婦と娘の、琴と胡弓の合奏をきかしてもらいましたっけ。
 でもまあ一人で行くのに温泉は適しませんねえ。」
 こんな事を云いながら急に落つかない気持になって居た。
 二人はこの頃の海は見つめてると目を悪くするから気をつけなければいけないとか、きっと送って行ってあげるから知らせろとか云った。
「私は貴方を弟あつかいに仕様とするし貴方は私を妹あつかいにする気で居る」
「行くとはっきりきめもしないのにそんな事を云われればどうでも行かなければならなくなってしまう。」
「行くとなれば『さき』一人残して行かなければならないから何となし不安心な気がする、
 火事でも出来されちゃあ事だ。」
「お京さんにたのんでちょくちょく
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