思い出を男について持って居るさきが結婚と云うものに対して持つ気持として無理はない事だろうと千世子は思った。
「そうかと云って一本立ちになって何をするって事だってないんだろう。」
「別に何って――
 そんな事思った事もございませんから。」
「そうだろう、
 だもの、やっぱり奥さんになってかたまった方がたしかにいいよ。
 私はほんとうにそう思う。」
「そうでございますねえ、
 でも貴方様なんかお嫁に行くなんて事を隣の家へお使にでも行く様にお思いでございましょうねえ。」
「まさか。」
 千世子は自分が斯うやって処女《むすめ》で気楽にして居るのがどれほど無邪気に見えるんだかと思うと可笑しくなった。
「私みたいに学問もなくてお婆さんにばっかりなるものはほんとうに下らないわけでございますねえ。
 又いじめられたらにげて参りますから置いて下さいませね。」
 さきは、気のぬけた様に体をくずしながら千世子の着て居る着物のつぶれた褄を胸にさして居た針でつついたりして居た。
 そうしてだまって居るうちに、咲はいつの間にか啜り泣きを始めて居た。
「どうしたの。」
「何だか悲しくなって参ったんでございますの、
 いろんな事を考えるもんでございますから。」
 千世子はだまって小ぢんまりした束髪に結って年にあわせては、くすんだ衿をかけて居る女のいたいたしく啜り泣くのを見て居た。
「泣くのなんかお止めよ、
 ね。
 悪いこっちゃあないんだもの、
 私だってよろこんで居るんだよ。」
 千世子は何と云って好いかわからなくなってこんな事を云った。
 何かが心の上におっかぶさって来る様な気がして出窓から青々して勢の好い立木を見て居た。
 かなり長い間しゃくり上げて居たさきは、ようやっと前髪をかきあげながら、
「もうやめましてございます。
 せめて新らしい女《ひと》が馴れるまで置いていただきましょうし出来るだけ御馳走も差しあげて置きましょう。」
と云って無理無理に淋しそうに笑って自分の部屋に行った。
「又あすこで泣いてるんだろう。」
 千世子はそんな事を思いながら、我ままの癖に自分の世話をよくするさきの様子を思い出した。
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 二十五、三度目、見知らない男
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 そんな事がいかにも痛ましい事の様に思えた。
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 又いじめられたら……
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