逸話を持たない人であった。私の心に甦って来る事々も、皆、祖母自身から聞かされた、第三者には何の興味もない世帯の苦労話ばかりだ。例えば、祖母の右の腕は力がなく重い物が持てなかったその訳とか、姑で辛い思いを堪えた追憶だとか。出入りの者などはそれさえ知るまい。ただ、丹精な、いつも仕事をしていた御隠居という印象が、大した情も伴わずあるだけなのだ。
 二日目の通夜が、徐々朝になりかけて来ると、私は今日限りの別れが云いようなく惜まれて来た。早朝の寒い空気の中で御蝋燭を代え、暫く棺を見守り、父の処へ行った。私は疲れていたので、桐ケ谷には行かない予定に成っていたのだ。私は父に自分も先方まで送りたい願いを伝えた。願いは叶い、私は父と二人きりで祖母を最後の場所まで送った。棺は恐ろしく手早に火葬竈に入れられ、鉄扉が閉った。帰りの自動車の中で、涙が流れて仕方なかった。私はすぐくっついて腰かけている父に気づかれまいとして、そろそろ灯のつき始めた街路の方に顔を向け、涙を拭きもせず黙っていた。父は、少し来てから、親切に、
「寒くはないかい」
と訊き、膝かけの工合をなおしてくれた。父の声もうるんでいる。そしてやはり窓
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