ちの人であった。一生じみに、小さく暮した人であった。周囲に在る幸福や悦びを進んで心に味うようなことのなかった人であった。それ故、私どもに、祖母は何処やら気の毒な、必要以上にいつも勤勉な人として感じられていた。若しのりとの形式がどうにでもなるもので、親しく話すような調子で「貴女の苦労の多かった一生も先ず終りました。これからは安心して悠くりお休みなさい。本当に貴女はゆとりのない人であった。」と読まれたら、私は恐らく悲しさと一緒に身も心も溶けるような寛ろぎを感じて彼女のために泣いただろう。祖母の名は、運といった。
祖母は、九月の下旬から、福島県下の小さな村の家に行っていた。祖父が晩年を過したところで、特徴のない僻村だが、家族的に思い出の深い家があった。七八年前まで、彼女は独りで女中を対手にずっとそこで暮していた。東京の隠居所へ移ってからも、祖母は春や秋になると田舎を懐しがった。あっちには、彼女が苗木の時から面倒を見ていた桐畑、茶畑があった。話対手の年寄達もいるし、彼女達を聴手とすれば、祖母は最新知識の輸入者となれた。行きたくなると、彼女は、息子や孫のいるところで、思いあまったように呟いた。
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