ぱな一口ではいえないものである。民衆、或は大衆というものの内容についての理解が既にそうでなければならないように、様々の現実の因子がふくまれている。進歩的な、積極的な、歴史の先頭を行って、その風波に堪える力をもった要素と、時の大勢にそろそろとついてゆく部分と、最後まで保守的な力としてのこり、反動的に存在する部分とが動的な相互関係にあることは、民衆の文化力を語る場合にも見落されない社会的な事実なのである。
 全く同じ事実が、知識人の社会的文化的活動についてあらわれている。知識人、インテリゲンツィアというと、知識人自身の間にのこっている習慣的な概括で、合理的な頭脳の活動をもち、学識と広い知的鍛練によって現実を客観的な歴史の真実に於て進歩的に把握し得る人々のように思うが、この概括は必しも現実に即していない。今日の知識人は著しい社会の階級的分化の間に生きている。明治初年から興隆期にかけてのごく短い期間は、日本のインテリゲンツィアも知的進歩性は摩擦少なく興隆する支配力と共にあり得たのであったが、現在では、真実の知性は社会的矛盾を観破し、帰趨を明らかにするが故に、知識人に対しても民衆に対しても、許可
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