政治主義、文学主義の問題にふれて最近書かれている論文の内で、「民衆の真実」から出発するという表現で、自身の拠りどころを語ろうとしていることも様々の感想を刺戟することである。山本有三氏に「真実一路」という小説がある。これの映画は多くの女を泣かせた。そして検閲料免除になった。だが、あの小説を読んだ真面目な読者は、作者が告げようとしている「真実」の内容が具体的にはっきりしていないことに、苦痛を感じたのであった。青野氏が抒情的な筆致で「民衆の真実」をとりあげた場合、一般化していわれる民衆という言葉は、一般化して云われる真実とひとしくほんとに抽象名詞であるという感がふかい。民衆の真実は何であろうかと思わずにはいられないのが活きた今日の人情なのである。
大衆の中の進歩的要素と知識人が、懺悔的な悔恨的な感傷で大衆を一般化して考え、それに対し勝な昨今の弱点を餌として、三木清氏のような全体的の哲学が闊歩するのであるし、亀井貫一郎氏の速記録改竄問題をひきおこすのである。
ヒューマニズムは、無方向な人間性全体主義の別名ではない。今日、ヒューマニズムがトルストイの人道主義でも、ニイチェの達人主義でもあり得
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