解している人々をも、まるで文化の人民性、歴史性、その階級性を理解しないように行動させた。この事実は、戦争の間私どもが置かれていた「馬よりも安い人間一匹の命」の状態をかえりみればはっきりわかる。
この悲惨な経験を生き抜き、「自分」を取り戻そうとしはじめてわずか三年たつかたたないのに、日本の理性は再び戦争の挑発と、根の深い日本のファシズムと権力の屈従的なショーヴィニズムとによって危機にさらされようとしている。私たちはやっと芽をふいたばかりの、日本の人間らしさをどうやって守ってゆこう。今日ではすべての人が、自分の運命が日本人民全体の運命の帰趨にかかっていることを発見している。一つの孤立した才能がそれ一つだけではどんなに萎靡するものであるかということは、最近の志賀直哉の文学的態度を見てもわかる。彼は日本のブルジョアリアリズムの限界を殆ど悲劇的に示している。志賀直哉に向って、日本の知性を押し潰そうとしている力に左袒《さたん》しているといったならば、彼はどんなに意外に思うであろう。そして、そういう人を憎むだろう。しかし、事実を蔽うことは出来ない。近代的文学を中心として自我の探求にあの道この道を迷
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