は全同盟、全プロレタリア文学運動の見地から互に納得のゆくまで検討し、討論し、大衆的批判を行うべきであるが、それは飽くまでも真のプロレタリア・デモクラシーによってされるべきである。それによって自身の全組織を強めることをこそ窮極の眼目としてされなければならない。指導部に対する批判の場合にでも、それは常に自身の指導部を支持し、鼓舞するためにのみされなければならないのは明らかなことである。
この意味から云って、同志林はもちろん藤森、神近などが、先ずブルジョア・ジャーナリズムの上において、自身の指導部についての問題をとりあげ、それについて、あれやこれやと論議している態度はどんなものであろうか。私のみならずおそらくプロレタリア文学運動を真に守ろうとする大衆諸君は、このような態度を、やはり一つの不規律と見るであろうと思う。何故ならば、われわれの共通な敵は一つであり、それに向って立てられるわれらの戦列は、常に可能な限りの発展的伸縮性において、然し戦闘的統一をもって固められていなければならないからである。
右翼的逸脱、「左」翼的逸脱への危険は、作家同盟が階級的大衆組織である限り、常に起り得る危険とし
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