られてしかるべきであった。
 それが最近に至るまでなんら積極的な方法でなされなかったということは、作家同盟の指導的先輩間に、右翼的日和見主義との闘争をなおざりにする日和見的傾向が幾分なりともあったことを物語るものではなかろうか。
 指導力は、明らかに強化されなければならぬ。文学におけるプロレタリアートのヘゲモニーの確立に向って強化される必要があるのである。
 指導部の問題に関連して、私はここでなお一つのことを注意しなければならないと思う。それは、組織の指導部に対するわれわれのプロレタリア的規則についてのことである。
 ブルジョア・ジャーナリズムは、わが作家同盟内に最近行われている討論の有様を批評して、同盟内の分裂とか、不統一とかいう風に扱い、ゴシップ的興味を示している。これは一つのブルジョア的歪曲である。
 プロレタリア文学運動の発展の過程にあって、特に客観的情勢の急激な進展の時期に際して、プロレタリア文学の陣営内に種々の討論がまき起るのは、自明のことである。指導部がある期間ある程度の立ちおくれを示し、ある種の傾向と十分闘争し得なかったということも起り得る現象である。その場合、われわれ
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