難な闘争に際して「左」右両翼への偏向を生む社会的要因である場合、われわれの警戒と努力とは、相互的な関係において常に結ばれている。
 顕著な右翼的偏向への危険が目前および自分の作品中にあるとき、それの克服のために努力せず、たまたまそれとの闘いを取り上げた論文が、その未熟さにおいて「左」への危険を示しているということを機会に、極力それを攻撃することによって、自身の右翼的偏向への危険から目を逸らさせ、同時に右翼的日和見主義の克服を放棄している自身の態度をも合理づけることはプロレタリア作家としてとるべき態度ではない。もし中條が同志藤森、林などの批判に右翼的傾向がつよく現れていることだけを云々し、自身の「左」への危険を認め、自己批判しないとしたら、どうであろうか。「何を」「どう」ということは小説を書く場合にだけあてはまることではない。われわれが大小の誤謬を犯した場合にも、それを「どう」とり扱うかというところに、結局の解決はかかっているのである。
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 次に、作家同盟が、同伴者的作家をも含む組織であるから「自由主義左翼の同伴者作家もプロレタリア文学発展のためにも確になる」
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