を高めてこそ「批判の批判」たり得るのである。
もし又、中條の批評が右翼的偏向との闘争をとりあげたそのことにおいて誤っていると考えられたのならば、そのことを大衆の前に明らかにし、作品についての科学的自己批判によって、そのことを証明するのは作者としての義務であると思う。
同志藤森も林も、自身の文学的活動に現れた右翼的危険、逸脱については頑固に黙殺し、中條に対する、「非難の嵐」だけを吹き立てるのは何を意味するのであろうか。
私はこれら同志の態度は、常に主要な当面課題を回避する右翼日和見主義の危険を十分反映するものであると云わざるを得ないのである。
右翼的偏向は、「左」への偏向によって克服されるものではない。然し、右翼的日和見主義との闘争は、作家同盟の第五回大会決議が極力警告しているとおり、プロレタリア文学をレーニン的段階へ押しすすめるために欠くべからざる一つの条件である。そうとすれば、われわれ自身に対してもこの監視を怠ることは許されない。
まして、わが作家同盟が、その成員と活動の歴史性により過渡的制約性として、現在まだ少なからず小市民性的要素を包括している場合、その小市民性こそが困
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