の傾向を以て書かれていることを指摘した点は、正鵠を得ている。両者の批評に際して、これらを決定的な非プロレタリア的作品としてしまっている点が誤りである。
「樹のない村」についていうと、作品の積極的な面を認めつつ、作中に現れた作家と組織活動との関係の理解の立ちおくれについての面に批判を集め、作品批評としては当然とりあげられるべき他の面、農村の扱いかたに対する新しいプロレタリアートの方針の観点からの批判を行っていないことがあげられる。
この論文のように、いくつかの作品に現れている作者の組織活動に対する理解の一定傾向の批評に連関して右翼的偏向への警告を意企したのならば、むしろ論文は「作品に現れた組織活動の問題について」という風にとり扱わるべきであったろう。作品評としてではなく、ある作品のその面についてだけ問題を抽象して来るべきであったろう。問題をそのように整理せず、同時に各作品の右翼的傾向、逸脱への危険の具体的な程度を充分分析し得なかったところに「左」翼的危険としての破綻が現れているのである。
同志藤森、林の批判の批判は、それらの諸点をこそ明らかにすべきであった。批判によって、筆者と大衆と
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