同志蔵原は、「プロレタリア芸術運動の組織問題」の中で、繰返し繰返し組織のデモクラシーを、ボルシェビキ的指導で貫徹することの絶対的必要を力説している。
 最後に、これらの批判中に示されている中條の論文と指導部との関係についての関心に対して一言したい。
 同志神近は、中條の「左」への危険を含んだ論文をもって、「同盟が過去一年間に堆積して来た指導理論の一部の偏向を極端な形で現している」と云っている。しかしどのような根拠から作家同盟の指導理論には左翼的偏向があると云い得るかという具体的事実については説明していない。
 同志神近は、作家同盟が画期的な実質的再編成として組織活動に着手したことを意味しているのであろうか? あるいは文学におけるレーニン的段階の確立のための推進、文学における党派性などについての理解が、彼女には「極左的」な響と感じられているのであろうか。
 もしそうであるとすれば、同志神近は「作家同盟の目的は何であるか?」(『日日』の月評)という自身の文章によって、半ばの答えを提出していると云える。同志神近はその文章によって、作家同盟が大衆的組織であること、ひろいプロレタリア文学の影響力によって各層の大衆を組織するのが作家同盟の目的であろうということをほのめかしている。
 大衆をプロレタリア文学の影響の下に組織するためには、創作活動と組織活動とがなされねばならぬ。大衆に働きかけ企業・農村からの新しい文学の働きてをひき出し、実際に同盟を大衆的組織とするためには、ここにもまた旺盛な組織活動がなされねばならない。既成の作家たちが、刻々うつり変る客観的情勢の下で真に闘うプロレタリアートと共に前進し、新たな段階に自身を再教育するためにも、組織活動は重大な意味をもっているのである。
 プロレタリア文学における政治の優位性については、すでに明らかにされている。
 同志林、神近などによって、プロレタリア文学運動における同伴者性が特に強調されていることをわれわれは注目しなければならない。プロレタリア文学運動における同伴者的作家というものを、先に述べた規準によって正当に理解しないならば、この戦争と革命とへの時期において、日本のプロレタリア文学運動を、敵の前に武装解除させるところの、明らかな右翼的逸脱への危険を示すものとなるであろう。
『朝日新聞』の「我等の運動」において、同志藤森は、作家
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