れ故、女性で一つの特殊な道に進む人々、画家でも、(音楽家は数の多さから見て他の部門よりはましだろうと想像する)創作家でも孤立的な場合が多い。考えればつくづく寥しいことだ。そして、そういう孤立的な少数の女性は、一人や二人しんから解り合う友もない程、女性の世界は狭小で未熟である、自分の生れた国の乏しさを歎くより、とかく孤立の程度を自己の卓越の程度と同一視する。侘しい限りだ。
 私は、四五年来、何処からかいつか相ふれて来るだろう友を待つことが切であった。近頃その宿望がやっとそろそろ日の目を見るようになって来たらしい。私は近いところに(感情の距離からいって。妙な表しかただけれども。)二人、それより一寸はなれて一人、よい仲間が出来始めた。方向をかえると、他にも二人ばかり。この人達は、皆生れつきが違っている、それで私を種々な方にのばしてくれる。私がよい友となれる希望を充分にもつのは、その人達と一緒にいると私は虚飾を忘れ、楽な、きのままの、それでいて決してうじゃじゃけてはいないいい心持になれるからだ。その人々と遊んだり、喋ったりすると、あとは爽やかで勇気づけられ、意気込んで来る。実生活の上でも、仕事
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