痛であり、物足りなさが増す一方であった。
 私は、それにいろいろ理窟をつけて考えて見た。女というものは、概して自分を発育させ、宏い確かな地盤の上で生きようとする本能的な熱意が男より少いのではないか、家が幸福で兄妹でもあって育てば、友達を求める切な望みは起るまいし、大きくなって結婚でもすれば、良人に承認されるだけの自分で大抵安心を得てしまう。友達との関係は第二次的のものになる。良人同士の社会的地位などが若し互の意識に這入りでもすれば友情は衰弱するばかりであろう。
 仕事を持たない人、これだけは一生かかってどうにかしようという一つのものを持たない人は、その点呑気であると思った。仕事をするのは独りぽっちの業であると知っても、時々心の底を打ち破って思うだけを話し合う友達が欲しい。仲間が欲しいというのが適当であろう。趣味、余技などというなまやさしいところを抜け、百姓ならば汗だくだくになって振った鍬を一休みし、額や頸でも拭きながら腰を延して「やあ、どうだ、うまく行くか」と声をかけ合う、そういう交りが実に実に欲しいのだ。
 男の人は誰でもそういう友達がある。女は、なかなかそういう友達は見出せない。そ
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