て居る。
我子の愛に満ちた声を待ち、優さしい手|触《ざわ》りに餓えて居るであろう。
けれ共、その子は、親を振向かなかった。
同じ手の力を持ち、顔の輝きを持つ者共と互して、夜は燈の明るい賑いの中に、昼は、自分の好きな事ばかりをして居るのを知った時の悲しみは如何ばかりで有ろう。
親を顧みぬ。
何故に?
我身のいとしさ故。
我に換うべきものはないからと、その人々は答うるで有ろう。
斯の如き人々は、箇人主義の胸の上の水泡となって数知れずただようて居るのである。
私はそれを悲しむ。
私は、箇人主義は、より偉大なものである事を知って居る。
今の現れが箇人主義の最もよい現れではないのである。私は敢て、箇人主義は大なる社会的生存に一致する事を明言して恥じないのである。
箇人主義と社会的生存。
それは、甚だ矛盾《むじゅん》した様な外見を持って居る。
けれ共、正しい箇人主義は社会的生存に一致する事を私は確信して居る。
箇人主義、利己主義。
此は要するに、自分のためを思い、自己を主とする主義である。
そして、自己のために最も益のある、己を私する事は何であるか。
私は直ちに
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