対話
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)此処《ここ》まで
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大|三叉《さすまた》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符二つ、1−8−75]
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時[#「時」は太字] 神の第十瞬期
処[#「処」は太字] 天の第二級天の上
神[#「神」は太字] ヴィンダーブラ(壊滅、絶望を司る巨大な男性の荒神)
ミーダ(暴力、呪咀を司る中性の神)
カラ(死、涙、悲歎を貪食する女性の神)
イオイナ(智慧、愛、創造を司る女性の神)
その他 此等の神々の使者数多。
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天の第二級雲の上にある宮。もくもくした灰色又は白の積雲に支えられ、宙に泛んだ大卓子のように見える。
遙か彼方に、第一級、上帝の宮殿が、輝くパンシーオン風の柱列をもって眺められる。ヴィンダーブラ、ミーダと連立って、上帝の宮殿の方から、ぶらぶら自分達の住居、第二級天の方にやって来る。
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ヴィンダー(立ち止り、無作法に大伸びをし)ああ、偉い目に会った。筋も何もすっかりつまりおった。神々の饗宴と云う奴には、ほとほと参るぞ。
ミーダ 全くだ。困るのは君ばかりじゃあない。見てくれ、折角荒々しいような執念いような、気味悪い俺の相好も、半時彼方で香の煙をかいで来ると、すっかりふやけて間のびがして仕舞った。(手でごしごし顔を撫で廻す)どうだ、少しは俺らしくなったか?
ヴィンダー(其方は見ず)上帝の奴、手に負えない狡猾者だ。俺達やカラは、地体ああ云ういやに晴れ晴れした席にいたたまれないのを百も承知でいながら、何食わぬ顔で叮嚀に請待しおる。なまじい、諸神なみに扱われるので、ふてて思う存分あたけることも出来はせぬ。
ミーダ 未だ音楽が聴えるな。――アポローばりの立琴をきかせられたり、優らしい若い女神が、花束飾りをかざして舞うのを見せられたりすると、俺の熾な意気も変に沮喪する。今も、あの宮の階段を降りかけていると丸々肥って星のような眼をした天童が俺を見つけて、「もうかえゆの? 又、いらっちゃい」と、頭を振って挨拶をした。妙に暖かいような他愛ない魔気が襲いかかって、危く、何より大敵のにこにこ笑いに捕まりそうになったが。――彼処はいけないよ。油断がならない。
ヴィンダー が、まあ此処《ここ》まで来れば、其の心配もないと云うものだ。――どうれ!(第二の天の宮の真中に仰向きにたおれる)縮んだ惨めな筋肉ども! 延び拡がって活気をつけろ!
ミーダ(ヴィンダーブラの傍に胡坐《あぐら》を組んで四辺《あたり》を見廻す。)誰も未だ帰っていないな。
ヴィンダー 俺達のように、意志の明白な者はいない証拠だ。い辛いのに、弱気で堅くなっているんだろう。天帝に媚びれば、仕事が殖えるとでも思っているなら愚の骨頂だ。
ミーダ ――……森としているなあ。何だか四辺ががらんとしすぎて、いつもなら聞えない第一天の物音が、つつぬけに耳の穴へ忍び込みそうだ。カラでも早く帰って来ればいいのに。
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二神暫く沈黙。彼等の宮を支えている雲の柱が静に、流れ移ったり、照る光がうつろったりする。やがて
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ヴィンダー ああ、つまらない。(欠伸《あくび》をする)何と云う沈滞しきった有様だ。又この間のように面白いことでも起って呉れないかな。目が醒めるぜ。
ミーダ 人間のアーリアン族を大喧嘩させたことか?
ヴィンダー うむ。思っても溜飲が下る。目覚ましかったじゃあないか。俺達の仕事で彼処まで大仕掛けに成功したのは一寸ないね。そりゃあ、人間が今でも云い伝えているそうだが、あの若者のカインに、始めてアベルを殺させたのも手柄の一つには違いないが、規模の壮大さで比較にならぬ。
ミーダ 然し手間はかかったな。俺の一心を凝らした点から云えば、カインの仕事をやり遂げて以来、ずっと、あの大騒動の下拵えにかかり切っていたようなものだ。奴等の小屋が幸地続きだったから、幾分都合はよかったものの、蒔いた呪咀の種と、狂暴の酵母の多さ! 俺もよく破産しなかったものだ。
ヴィンダー 滅多なことには驚かない俺も、あの時許りは目を瞠った。人間共に未来を見せず、奴等の悦ぶ思弁にこじつけてさも世界を救う大思想のように思わせ思わせ野心と所有の慾望を徐《そ》ろ徐《そ》ろ植える手際には、俺も参った。生れては死に、死んでは生れる人間共が、太古の森も見えない程建て連ねて行く城や寺院、繁華な都市が、皆、俺のおもちゃに植えて行くと思うと、身震いがしたッけ。
ミーダ 俺がこれまでに作った悪徳の環もあれが頂上だったかな。
ヴィンダー ――兎に角仕事があれば存在も認められる。あの最中、俺達が他の神々を畏れさせた威勢はどうだ。善神どもは、意地が強いから、道ですれ違っても避けはしなかったが、二人で愉快に闊歩するのに出喰わすと、さっと、高慢な頬を蒼ざめさせたじゃあないか。
ミーダ それも昔の物語、では始まらない。――斯う宇宙一体が溌溂としないのは、俺が思うに、天帝の故だ。どうも老耄しかけて居る。――そうは思わないか。眠けざましに、イシオピア人の真似でもして天の一揆を工《たく》もうか。
ヴィンダー あの時結局勝ったのが誰だか忘れるな、矢張レーだ。
ミーダ 俺達にでも堪えるべき運命があると云うのか?――ああ、ああ、退屈は明敏な俺の呪咀まで腐らせそうだ!
ヴィンダー 俺の大|三叉《さすまた》が、恐ろしい鉄の轟きで天を震わせなくなってから、よい程時が経ったわ!
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ヴィンダーブラ、やがて、きっときき耳を立て、起き上る。
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ミーダ 何だ? 皆の足音でもするか?
ヴィンダー(熱心に)違う! 遽《あわただ》しい、わくわくした、嵐のような歓びのそよぎだ――ほら! 来るぞ。来るぞ。
ミーダ(同じく注意し)成程。此方に向って翔んで来る羽搏きの音が風を切って迫るな。――やあ、見ろ、俺達の奴《やっこ》どもだ!
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宮の柱激しく揺れ、その間からヴィンダーブラ、ミーダの使者一、二、翼を持ち、黒鉄の鱗片で鎧った姿を現す。
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使者一 御注進です! 吉報を齎したお賞めの言葉を先ず下さい。
使者二 悦び、悦び! 悦び※[#感嘆符二つ、1−8−75](バサバサ羽搏き。)
ヴィンダー[#「ヴィンダー」は底本では「ヴンダー」] ミーダ(一緒に)云え! 何事だ?
使者一(小声で早口に)大地の神が眼を覚まそうとしています。
今朝人間界に舞い下りて、彼方此方ぶらついていると、大地の神の衣の襞の海水が怪しく震えているのに目がつきました。
使者二 私共は素早く、馬鹿正直の翻車魚《まんぼう》を捕えました。彼奴《あいつ》は、見ないことを云えない代り、知っていることを隠す術を知りません。尋ねて見たら、徴の通りを云いました。大地の神が百年の眠りからさめて身じろぎをしようとしているのです。
ミーダ 本当か?
使者二 嘘は注進になりません。
ヴィンダー 間違いじゃあ無かろうな。
使者一 私の眼や耳は、まだ役に立つ積りです。
ヴィンダー よい。行け! 褒美は仕事がすんでからだ。――(ミーダに向い)どうだな?
ミーダ ふむ。――騒ぐほどのことではないが万更でもない。久しぶりに俺の鞭も命を感じて鎌首を擡げるようだ。どれ、どれ。(にじり出した、宮の端から下界を瞰下《みおろ》す)一寸下を覗かせろ。愚鈍な人間共が、何も知らずに泰平がっている有様を、もう一息の寿命だ。見納めに見てやろう。
ヴィンダー 俺の大三叉も、そろりそろりと鳴り始めたぞ。この掌に伝わる頼もしい震動はどうだ。(下を瞰下し)ふむ。感じの鋭い空気奴、もう南風神に告げたと見える、雲が乱れる。熱気が立ち昇る。
ミーダ(下を覗きつつ、段々亢奮し奇怪な様子で手に握った鞭を振り始める)ほうれ!(間)よしよし。この動物の血で塗りかためた、貴様等同族の髪毛の鞭が一ふり毎に億の呪いをふり出すか、兆の狂暴を吐出すか後で判ろう。呪いの鬼子、気違い力の私生児、入れ! 入れ!(ヴィンダーブラの袖を引張り)見てくれ、俺も老いまい? 粉のように飛んで、光のように、人間共にからみつく、あの――
ヴィンダー 仕事は分担だ。騒ぐな。
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ところへ、カラ、駆けて来る。
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カラ ああ、貴方がた。――その様子では、私の虫の知らせが当ったかしら。
ミーダ 愉快なことが起ろうとしている。大地の神が動き出すのだ、人間共の生意気な組立細工の滅びる時が目の前に来た。
カラ 何と云う嬉しさ!――薄穢ない獏奴の食いさしを拾って来たのじゃあなかろうね。私は、もう飢えと渇きで死にそうになっていました。
ヴィンダー 誰が知らせた?
カラ 誰も。(狡く)ただね、私が宮を出ようとすると、天の伝令が一人、影のようにすうっと饗宴の物かげに入りました。間もなく、又その影の影のように、慈悲の女神が、宮を出て消えました。ね? あの女神が左からゆけば、きっと右手に私の場所がある。
ミーダ さすがだ。――然し、此処で展望はきかなくなって来たぞ。
ヴィンダー ふむ。湧くな。雲奴もただ事でない宇宙のざわめきに落付かれぬか。
カラ さあ、段々私共の足許も隠されて来ました。
ミーダ 出かけようぜ。
ヴィンダー 出かけよう。
カラ 今日おくれたりしては、一期の不覚です。(傍白)この吉日をとり逃したら又何時ふんだんな人間の涙と呻きが私の喉に流れ込むかしれたものではない。(皆去る)
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一面濛々とした雲の海。凄じい風に押されて、彼方に一団此方に一団とかたまった電光を含む叢雲が、揺れ動き崩れかかる、その隙間にちらり、ちらりヴィンダーブラの大三叉を握った姿、ミーダの鞭を振る姿、カラがおどろにふり乱した髪を吹きなびかせて怒号する姿、黒い影絵のように見える。声が聞える。
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ヴィンダー さあ、時は愈迫って来たぞ。
ミーダ 用意はよい。
カラ 気を揃えてかかりましょう。――あ! 揺れ始めたようですよ。うむ、確かに揺れ出した。大地の神のお目醒めだ。御覧! 空を飛ぶ鳥がいきなり大気の波動にまかれて、後から後から落ち始めた。
ヴィンダー や。忽ちあの五十層の建物が、木葉微塵にとび散ったぞ。優雅な塔が歪む。……ほら倒れる。千、万のぼろ家は、ぐっしゃり一潰れだ。堂宇も宮も、さっさと砕けろ!
ミーダ 夢中になって転がり出した者共が、又そろそろ棟のずった家へ家へと這込むな。慾に駆られろ! 命のたきつけをうんと背負いこめ!――面白い! 互の荷物がかち合って、動きのとれない様はどうだ。そら擲《なぐ》れ、他人なんぞは押しのけろ!
カラ ああたのもしい声だこと。もっと喚け! もっと泣き立てろ。私は男の声は大嫌いだ。まして、思慮分別がありそうだったり、沈勇と云う魔に憑かれた奴のは、地獄の風よ、吹き攫え。私は、弱い女が死に者狂いで泣き叫ぶ声や、いとけない子供が死にかかって母親をさがす、そう云う声が好物だ。
ヴィンダー 愈事は順調に運ぶ。彼方此方の隅々から赤い焔がふき出したぞ。ほら、壊れた、脆い、木造りの梁に火の粉がとびつく。ぱっと拡がる。
ミーダ 俺の呪いで植えつけられた慾の皮も火の熱気には叶わないか。算を乱して駆け出したぞ。
ヴィンダー 活溌な火気奴! 活動をつづけろ。何より俺の頼もしい配下だ。飛べ、飛べ! ぐんと飛んで焼き払え。祖先の時柄にも似合わず、プラミシュー
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