へ女中として世話しているのであるが、その娘たちの心の中には、このとし子とは違うか、又全く同じような当惑や、型に入れぬ工合わるさがあるだろうし、多かれ少なかれ持っている田舎の朴訥《ぼくとつ》さ、一本気が段々くずされて都会に所謂《いわゆる》馴らされてゆく過程にも、痛々しいものがないとは決して云えぬことを、私は感じたのである。
来年も凶作があるかないかを予測するため、海へ船を出して天候を観測したりしている記事が大きい見出しに写真つきで華やかに新聞に出たが、あの報告で今年の秋を、みのりの秋と楽しく期待出来た人間は恐らく一人もなかったであろうと思う。東北地方の飢饉は、二三年前からのことで、問題は天候ばかりにはないことが既に誰にでも理解されている。同じ空の下でも、地主の田圃の稲の穂は実の重さで垂れたのである。
秋田の方の故郷で暮している鈴木清というプロレタリア作家の『進歩』に発表された通信は、東京の愛国婦人会や何かが、まるで農民が道徳をさえわきまえぬ者で娘を売るように口やかましくほんの一部の身売り防止事業などに世人の注意をあつめ、窮乏の真の原因とその徹底した打開策とを大衆の目から逸《そ》らさせ
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