な場面にあっても、階級的な文学をつくろうとするものとして統一された精神の流れを分裂させないでやってゆけるようにならなければならない。わたしは、その日の話の後半でそういう問題にふれた。平野氏は、その点から話しをおこしている。わたしの云っていることは正論である。しかし、職場の若い文学者たちに向って正論をとく本人は、作品をかくために、「できるだけいろんな機関の役員も止め、会合や座談会にも出ないようにしている、ときいている」「ほかならぬ宮本百合子だから、党も一種の例外として黙認しているのではないかと考えられる。」そういう特権の「立場にある宮本さんが」正論を云いきって、「いささかのうしろめたさも覚えぬらしい態度に、実は私はあきたらぬものであります」と云われている。熱田五郎氏の感想がひかれて、若い人たちは、「自己一身のうちに労働者的な集団生活と小市民的な個人生活との二重性をはっきりみとめ」「党生活と私生活との二重性の」「統一を一作家の資格においてなしとげたいと希っている。」その当然の希望は、政治生活を作家生活にきりかえている特権者であるわたしの「きまりきった」「一人の文学者としてではなく、いわば組合の指導者でも云いそうな正論」「軌道的な文学論」に轢殺されていると、平野氏は語っているのである。わたしが党員である作家として例外の特権をたのしんでいて、作品をかくために役員をやめたり会合に出なかったりしてすましていると判断する、どんな実際の根拠を平野氏はもっているのだろうか。
 わたしが、去年の暮から外に出られないのは、病気だからにほかならない。太平洋戦争がはじまるとともに検挙されて、翌年の七月末、熱射病で死ぬものとして巣鴨の拘置所から帰された。そのとき心臓と腎臓が破壊され視力も失い、言語も自由でなくなった。戦争の年々にそろそろ恢復したが、この三、四年来の繁忙な生活で去年の十二月、講演会のあと、動けなくなった。ある治療のおかげでこの五月ごろになってやっと二階から階下へ降りられるようになった。健康状態がそんなときに、外出して活動できず、お客にも楽に会えないのは、「ほかならぬ宮本百合子」でなくても、あたりまえのことではなかろうか。長い仕事をしつづけているところをみれば、病気も特権で自分をかばっているかのように気がまわる。そこには、こんにちの民主的陣営の一部にくいこんでいる陰惨な過去の日本の
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