あう責任があるかという事実も学んだ――民主主義文学について枠内で語るのではなく、民主主義文学者としての責任において、日本の文学の諸問題についてふれてゆくことが――。
 政治と文学の課題を選ぶことは、わたしにとって或は冒険であるかもしれない。しかしわたしのみならず、多くの人々が、この年々に、一番多くの血を費したのは、この問題とのとりくみであった。この問題は、きょうの文学者にとっては直接であるにしろ間接であるにしろいかに生きるか、にかかわりをもって来ている。菅季通の自殺は、太宰治の死、田中英光の死にまさって、こんにちのすべての良心に、人間としていかに生きるかの表現としての政治と文学の関係、そのなりゆきを注視させている。
 こんにちプロレタリア文学史をよむひとは、一つの不便にめぐりあっている。それは一九三三年にはいると、プロレタリア作家同盟に属しながらも出版されて今日にのこっている発言、著書などは、ある一部の人々のものに限られていて、それらの人々とは別個の見解をもっていたプロレタリア作家たちの討論は、文献の表から消えていることである。
 このことが一九四六年からのち、一時プロレタリア文学に対
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