日』で、高田保氏と対談している幸田文氏は、その意味のことをいっている。自分が女だもんだから女のことは大体わかるのでという風に。
 わたしは、偶然、そのところをよんで、何となし考えこんだ。こんにち、ほんとに女のことのわかっているといえる女が幾人あるだろうか、と思って。日本の女性のかわったのは表でかわるよりも、その底流でひどくかわって来ている。表面からばかり見ると、或る意味では落ちた花が浮いている池の面のようで、見てすぎるだけのもののようだけれども、たとえば、きょう十七八歳になっている若い女性たちの中には、女学生の中にも職場に働くひとの中にも、女優のなかにも、新しいタイプが育ちはじめている。三月八日の婦人デーに、人民広場に集った組合の若い女性たちの写真には、何という新しい若い日本の女性の美しさ、健康さの輝く顔があったろう。若い女学生のうちに新しい理性や社会感情の人間像があらわれてもいる。きょうの女のことは、わたしたちが思っているよりも大規模に、複雑になって来ている。
 去年の十二月、ブダペストで開かれた世界民主婦人連盟の第二回大会では、日本のわたしたちが心をうたれるいくつかのスナップ写真が
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