にしている女性はいない。自分が子供を育てたならと心の底に思いながら周囲の母たちと子供との関係を見ていない女性はいない。けれども、どうしよう。竈の口はあんまり大きい。自分がその竈で食うのでなく、竈が自分の運命を食いそうに見える。なんとか、このおそろしい竈を人間の生活にふさわしい大きさまでちぢめ、合理化して行きたいと思う。子供の可愛さを自分の心の中で殺さないで、怒鳴り立てる母親とならないで、やさしい母にもなって見たい。今日の総ての人は、そういう問題が自分の心の中だけで解決しないことはよく知っている。託児所一つにしろ、衛生的な家族食堂一つにしろ、それが社会的なものであるからには社会的に建設され、婦人が家事の重荷から解放されねばならないことを知っている。そして、こういう点が解決されなければ女性が男と等しい意味で人間として豊かな経験を重ねながら、それぞれの成熟の段階で、社会に貢献して行くことは不可能であることを知っているのである。
 今日の愛のモラルは、資本主義社会に於てこんなにも強く女性の生活の上に現れている板挾みの状態を、男子がどの程度まで自分の人間性そのものにもかかわっている状態として理解
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