やられなければ、何より基本的な時間と体力で婦人は百年前と同じ一生の使い方をして行かねばならない。しかも百年前の無知でのびやかな、外の世界を知らない女心の狭さは、今日、本人達が望むよりも激しい勢で打ち破られている。一見文明的なそのくせ現実の社会施設に於ては無一物な荒野に、婦人は突き出されている。ショウが「人と超人」を書いた一九〇三年には自覚のある少数の男が生物的な(生の)力に虜《とりこ》になることを恐れ、それに抵抗した。一九四七年代になれば、この抵抗を非常に多数の若い女性たちが感じている。やっと発展させる可能な条件が社会に現れた今日の日本で、一心に自分を成長させ人間の歴史に何事かを加えたいと希望している愛憐らしい若い人たちが、怯えた苦悩のあらわれた瞳で眺めやっているのは何だろう。インフレーションによって人間の社会的良心さえも、その焚附《たきつけ》にしてしまっている竈の、ポッカリと大きくあいた口である。又、いくら洗っても清潔になりきらないおむつの長い列である。けれども若い自然の人間としての女性の心は愛すことを欲している。愛する者と共に住みたいと欲している。子供の可愛らしさを心の中で平手打ち
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