ある一つ一つの発展への努力が、目に見えない力のようでありながら、実は確実に歴史を前進させる力となって行くことをも知っているに違いない。人間であることを喜び、その意味で苦悩さえも辞せない見事な人々はきっと思っているだろう。自分たちは歴史によって創られた夫婦であることだけでは満足しない。歴史を創る一対の男女でありたいと。
今日の世界では、資本主義的な民主主義と社会主義的な民主主義と更にもう一つ中国や日本また東ヨーロッパ諸国に現れたような新しい民主主義の社会形態が存在している。日本の私たちは、その違いについてもあんまり多くを知っていない。半封建の日本が急にどういう特色を持つ民主主義の社会に向って進んでいるのかよくわかっていない。そのために資本主義的な民主国の今日の現実に現れている種々の現象を、そのまま日本の民主社会の前途に当てはめて見る間違いがおこり易い。それは社会主義的な民主社会の生活を、いきなり、本質では未だ半封建な今日の日本の社会の上に夢想するのが、適当でないのと同じである。例えば、民主的な社会の特長である徹底した男女同権が実現されれば、そして勤労に対する報酬も、能力を発揮する機会も、婦人にとって全く男と同等になれば、その結果結婚を望む婦人が減って、離婚も増し、家庭というものが崩潰するだろうという見通しを語る人がある。これは実に日本らしい旧い結婚観の裏返った速断である。なる程これ迄の日本の女性は、身のふり方として、一種の生計の道として奴隷的な結婚にも入った。そのままの状態を、一つも発展しないものとして裏返して見れば、悪条件の無くなった社会で、女がそういう奴隷的生存を続ける為の結婚を望まなくなるだろうということは言えるだろう。けれども、私たちはそういう機械的な裏返しで現在の逆を見る誤りに落入ってはいけない。もし一つの社会が、その民主的な発達の過程で、本当に男女の同権を具体化するならば、それは当然人間の性別に対する、今日では想像も出来ない程行届いた理解をともなわずにはいない。男女同権ということは、今日のように男も女も基本的な生存の安定を脅やかされて、自然な性の開花と結実とを楽しめないような状態を意味しているのではない。人間らしい女の総ての心が、こんなに家庭と職業との間に引き裂かれて、二重の負担のもとに憔悴することはあり得ない。才能の可能性を認めて、妻であり母であると共
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