身についた可能の発見
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)眼を瞠《みは》って

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四一年一月〕
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 今年はどんな一年として私たちに経験されてゆくだろう。
 世界の動き、日本の動きは微妙複雑な程度を増しこそすれ、決して単調平坦な明け暮れがあろうとは思われない。婦人の生活も、世界的な波動の中で更にそれぞれの国の特別な事情に左右されながら、多くの経験を重ねて行くことだろう。女のおかれている条件もひととおりのものではないのである。
 この頃、歴史について読書人の関心が目ざまされて来ている。漠然と現代の社会事情が維新時分の世相のありようと引きくらべられたりもしている。
 けれども、果して歴史はくりかえすものであろうか。
 歴史の上に、一つの国が全く同じ条件で同じ現象をくりかえすというようなことが現実にあるものだろうか。
 私たちの祖母の代が女として過した一生の絵図を、きょうの若い女性の日々にくりかえされていると私たちは思っているだろうか。私たちの一生は祖母の代とは非常にちがう内容が過されるであろうし、或は母とも姉たちとも生活感情で深く違ったところをもって暮されて行くのが実際だろうと思う。
 そして、種々様々な時代としての相異があるにしろ、やはり私たちの一生は自分にとって唯一度しかないものだということに、烈しい愛着を感じ、かくされている可能を信じようとする心は変りあるまい。
 世界の歴史が激動し、国々の歴史が波瀾を重ねる間にも、私たちが歴史のために役立とうとすれば、窮極は自分という一個の女性を、最大の可能でそれぞれの道と部面とにおいて人及び女として成長させ、能力を発揮して行くことにほかならないということは意味ふかいことだと思う。
 去年は世の中にいろいろと大きい動きがあって、若い生活力に溢れた女性たちは、何かどこからか新しい潮がさし入って来たように感じ、眼を瞠《みは》って動きにそなえたけれど、その動きが具体的にどうあっていいものなのかは、はっきり見定められなかったような状況だったと思う。
 自分として改まって、さて何をどうしてよいか、ということで却ってわからなくなった気持もあって、それは決して若い女性たちだけの問題に止らなかった。女性の先輩たちの動きにその混
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