迷が見られたし、文学、美術、科学の面でもそれぞれの形で同様のことがあった。
今年は、世相としては一層いりくんだ現象が見られるようになるであろうが、それが予想されるからこそ猶私たちは、自分の生活を内と外とから見て、自分に本当に身についた可能を発見して成長してゆくように骨折らなければならないのだと思われる。集団的な生活への関心もおこっているけれども、その一人一人がちゃんと自分と団体のすることとを見きわめての動きでなければ、結局は一つの流行に流されたということにもなる。流行に押しながされる女の姿は、パーマネントばかりにはなく、制服好きとなっても現れるのである。
当途のない気持をまぎらしに人のよっているところへひきよせられてゆく。その心理が映画館や喫茶店から○○会へ場所を変えたというだけであったら、格別の意味はないというしかないと思う。自分の判断やもののみかたの定らないひとほど他人の意見に追随するもので、女が英雄崇拝であると云われる原因も、そういうところにある。ひところはそれを理由として女性に冷静な判断力が乏しいから政治に関係する選挙権などは与えられないと云われたことがあった。
私たちは総力と云われているものの一部として自分たちを考えたとき、そういう云いかたのなかへむこうから引くるめて表現されるばかりでなく、真に生活的な力として自分をも成長させてゆく社会的な力として、女である自分たちが如何なる可能をもっているかということを真面目に考えてみることも無駄ではないと思う。具体的な何かの技術、何かの専門、また家庭の処理の方法にしてもそこに何かの工夫をもち計画をもっているということの確信、それがほしいことだと思う。
歴史の激しくうつりかわる時期には、標語めいたものはどんどんうつり変り、表面からそれを追えばそこには矛盾も撞着も生じる。時代の風波はいかようであろうとも、私たちが女として人間として、よく生きぬかなければならない自身への責任はどこへ托しようもない自身の責任なのである。歴史の幅は非常にひろいものである。私たちはそのことをよく知らなければならない。立役者だけで演じられる芝居というものはない。そのことも私たちはよく知っていなければならないことであると思う。
[#地付き]〔一九四一年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月
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