動的ヒュマニズムの変革運動は芸術にあっての自由と、その自由なる芸術的表現の主張によって最近のソヴェト文学によき示唆を齎した。」小松清氏はアンドレ・ジイドのメッセージの一節「今日、ソヴェトは文学なり芸術なりの領域において、コムニスト的個人主義を設定することに努めなければならない」という言葉を結語として「われわれの主張する全的人間性の観念の上に立った個人主義」を、日本におけるプロレタリア文学運動の新段階と直接間接関係あるものとして提出している。ジイドが今日のソヴェト社会の現実を念頭において意味したコムミニスト的個人主義というものの実体と、日本の階級社会のなかにあっての個人主義の実体とが、同じであり得ぬことは自明である。小松氏の全的人間性の観念に立った個人主義というものも、果して現実のものであり得るだろうか。全的人間性[#「全的人間性」に傍点]の登場の可能に対する観念[#「観念」に傍点]そのものさえ蹂躙しつつ、階級社会の時々刻々の現実生活はどのようにわれわれをゆがめ、才能や天分を枯渇せしめているかという憤ろしい今日の実際を、ローゼンタールの生活と文学における性格の研究の論文はくっきりと抉り出
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