、どうして作品の中に情感の高い響をつたえることが可能であろう。
 プロレタリア文学においては純技術的な問題を発展的につきつめてゆくと、窮局において、作者がとらえ表現しようとしている現実の諸相に、どんな評価を与えているかというところへ出て来ることは興味ある事実である。文芸批評の歴史は、ここをモメントとして今日にまで発展して来ているのである。
 同じ『文学評論』に掲載されているマカリョフの「開かれた処女地」の分析、又『文化集団』新年号の最も重要な記事の一つ、ローゼンタールの「生活及び文学における典型的性格」研究などは、細かい部分についてはある註解がいると思われるところもあるが、以上の問題にも連関して一読の価値があると思われた。
『文化集団』では又、上述の二つの論文との対比によって、われわれに教えるところのある小松清氏の「ソ作家大会と新個人主義」という論文が発表されている。小松氏は第一回全ソ作家大会の重要性の一つは、かつて「ラップ」によって「ブルジョア自由主義もしくは個人主義文学の名によって蔑視され勝ちであった西欧文学についての再検討と、自国文学に対する価値的反省」であるとし、「フランスの行
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