れていない。だがその作品からはなれて試験官は、どこを念頭においてその質問を出したのだろうかという疑問が私の心にはのこされたのであった。賑やかなところは、銀座のほかに浅草もあるだろう。だが試験の先生は、それらのところをも念頭においている市民らしい自然さに立って訊いていただろうか。九段とか何々祭の行列とか、そういう紋切型の答えを期待していた心は果してなかっただろうか。
 小説の中の娘さんがG学園に入学出来なかったのは、決してその答えの素直さ一つによるものではないと思う。もし自由学園なら、あすこは生徒の親の資産調べと校風にしつけやすい特色の少い性格の子供をとることとで一部には有名であるから、作家の子供は敬遠したのかもしれない。
 けれども、それにはかかわりなく、やはり出された質問の性質は今日の或る普遍性に立って、心ある者を考えさせるものをもっていると思う。どんな内容にしろ、教義問答のようなものが出来れば、人物考査の本質は損われるのだろう。
 内申には同点が多すぎる。最後の一点は体力で、と一粒ハリバの広告がこの頃電車に貼られているのを見て、それを新しい日本のほこりと思う人があるだろうか。商売の
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