ほとんどない。
ソヴェト文学の中にあるか?
ない。
盛りあがった力あるプロレタリアートが階級的立場に立ってものをいうとき、遠慮して、兎だの亀だのに代弁させる必要はないのである。
これは、日本の闘争的プロレタリアートの心持にしろ同じである。
その代り、諷刺は昔のロシア文学の中に重大な社会的役割を果した。
現代のソヴェト同盟でも、諷刺は新しい立場から研究され、絵画の領域では漫画といっしょに、大いに階級的活動に利用されている。
二
諷刺は、極めて現実的である。
対象と主体との相異対立がはっきり認識され、それを積極的に批評し、評価結論を下したところに、諷刺が現れる。対象を批評するときには、当然暴露がついて来る。
しかも、暴露の材料一々の具体性が分析される。従って対象と主体の置かれている一定の時代、階級というものを無視することは絶対に不可能である。
諷刺は攻撃的だ。率直だ。動的で、生活的だ。
活溌な闘争にしたがう世界のプロレタリアートは、だから一方にはブルジョア社会への攻撃の武器として、他方には自己批判の武器として、諷刺をアレゴリーとはくらべもの
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