ことは困る。特に啓蒙的な目的でつかう場合こまる。桃太郎が桃から生れて、犬、猿、キジをひきつれて鬼という架空的存在を征服して、宝物をひとりで取って平気でいるのでは、ものにならない。
桃太郎は貧乏な小作人の子で、鬼は悪地主だ。三人の仲間を中心として悪地主をやっつけて、村の農民みんなのために働いたという風に、かえられる。
これはアレゴリーだろうか? そうではない。従来の意味でアレゴリーの形式はこわれている。
階級闘争の実践の過程で階級的基準をぬいた善行というものはあり得ない。まず第一にこれがアレゴリーの性質とブツかる。
第二に、アレゴリーは、静的だ。静思的だ。それだから、たとえそれが反抗的な要素によってつくられていても、直接に、大胆に暴露や批判はしない。消極性を少なからずもっている。
今日、世界唯一のプロレタリアートの国ソヴェト・ロシアは昔から、革命的経験をどの国より豊富に、歴史的発展につれてもって来た国である。
文学は、ブルジョア・インテリゲンチアの革命運動のはじまりから、多くその影響のもとに生れた。
では、古典ロシア革命文学の中に、どんな傑出した階級的アレゴリーがあったか?
前へ
次へ
全12ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング