[#ここで字下げ終わり]
 ところが今年は当地方平均一頭宛の標準は五・六六六ツェントネルで、各農戸に対する一頭の標準は、
[#ここから2字下げ]
一匹   五人家族   三・〇(ツェント)
二匹   八人同    四・四(同   )
[#ここで字下げ終わり]
という工合である。

 大きい河。濁ったあく色だ。両岸、雪が白い。地図を見たらそれがイルトゥウィシェ河だった。オムスク市が鉄橋のかなたからはじまる。
 オムスク四十分停車。
 ステーション構外の物売店見物。
 バタがうんとある。
 三つ十五カペイキでトマトを買った。てのひらにのっけて雪道を歩くとそれは烏瓜のようだった。実際美味くなかった。ナルザン鉱泉の空瓶をもってって牛乳を買う50к。ゴム製尻あてのような大きい輪パン一ルーブル。となりの車室の子供づれの細君が二つ買ってソーニャという六つばかりの姉娘の腕に一つ、|新しい世界《ノヴォ ミール》というインターナショナル抜スイのような名をもった賢くない三つの男の子の腕に一つ通してやっている。
 耳が痛い位寒い。食堂でよく会う黒人党員がいつも一緒なロシア婦人党員と白い息をハーハーふきながら愉快この上ない顔つきで散歩している。一行はドイツ人もアメリカ人も混って、食事の時は婦人党員がドイツ語、英語、ロシア語でやっているのだ。(モスクワを立つ前、こんな事件があった。何処かの工場でアメリカ技師を招聘した。技師は職工を何人かつれて来て、中に黒人労働者もいた。白人職工が何かのことで、議論する間もなくいきなり手を上げて黒人の仲間を殴った。彼は故郷自由の国アメリカ、黒人に対する私刑《リンチ》が行われるときは巡査が交通整理して手伝ってくれる文明国にいるのだと感違いした。その時周囲に目撃していたのはソヴェトのプロレタリアートだ。直ぐその場で一般集会――同僚裁判が開かれた。その白人職工はその工場労働者の決議によってアメリカへ送還された。)

 オムスクから二時間ばかりのところに、すっかり新しい穀物輸送ステーションが出来ている。屋根からつららの下った貨車。そびえるエレバートルの下へ機関車にひかれて行く。何と新鮮なシベリア風景だ。
 午後三時半。
 晴れた西日が野にさして、雪は紫色だ。林は銅色。
 小さい駅。白樺。黄色く塗った木造ステーション。チェホフ的だ。赤い帽子をかぶった駅長が一人ぼっち出て来て、郵便車から雪の上へ投げた小包を拾い上げた。その小包には切手が沢山はってあった。

 十月二十九日。
 昨夜スウェルドロフスキー時間の午前一時頃ノヴォシビリスクへ。モスクワでウラジヴォストクまでの切符を買う時ノヴォシビリスクで途中下車をするようにしようかとまで思ったところだ。新シベリアの生産と文化の中軸だ。真夜中で〇・一五度では何とも仕方ない。車室の窓のブラインドをあげ、毛布にくるまってのぞいていたら次第に近づく市の電燈がチラチラ綺麗に見えた。
 一寝いりして目がさめかけたらまだ列車は止っている。隣の車室へ誰か町から訪ねて来て、
 ――今ここじゃ朝の四時だよ、冗談じゃない!
 男の声がした。時計また二時前進。今度の旅行には時間表が買えなかった。大きい経済地図があるのを鞄から出して見る。モスクワは地図の上で赤ボッチ。自分達はシベリアの野と密林の間を一日一日と遠くへ走っている。
 ある駅へ止る。ステーションの建物の入口の上に赤いプラカートが張ってある。
 五ヵ年計画第三年目完成ノタメニ諸君用意シロ!
 その前に男女一かたまりの農民が並んで立って列車とそこから出て来て散歩している旅客を眺めている。今日も新しいエレバートルを見た。まだすっかり出来上らないで頂上に赤旗がひるがえっていた。

 十月三十日。
 午後一時、ニージュニウージンスクへ止る一寸前、ひどい音がして思わず首をちぢめたら自分の坐っていたすぐよこの窓ガラスの外一枚が破れている。
 ――小僧《マーリチク》!
 ――見たの?
 ――三人いたんだ。一人石をひろうところ見たんだが……
 モスクワを出た時車掌が入って来て、急いで窓のシェードを引きおろし、
 ――こうしとかなくちゃいけません。
と云った。
 ――何故?
 ――石をなげつけるんです。
 自分は信じられなかったから、又、ききかえした。
 ――どうして?
 ――わるさする奴があるんです。御承知の通り。
 停車したとき出て見たら、後部でもう一つの窓がやられている。そこのは石が小さかったと見えて空気銃の玉でもとび込んだように小さい穴がポツリとあいてヒビが入ってるだけである。こっちのは滅茶滅茶である。
 子供はつかまったそうだ。親がえらい罰金をくうのだろう。
 どっか松林の下に列車が止ってしまった。兎が見えたらしい。廊下で、
 男の声 ここいらの住民は兎は食わな
前へ 次へ
全7ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング