本である。
列車の窓ガラスが緑になってしまうぐらい、松ばかり。パッと展望が開いた。地平線まで密林が伐採されている。高圧線のヤグラが一定の間隔をおいてかなたへ。――いそいでもう一方を見たら、電線は鉄道線路を越えて、再びヒンデンブルグの前髪のような黒い密林のかなたへ遠くツグミの群がとび立った。今シベリアを寂しい曠野と誰が云うことが出来よう。
エカテリンブルグ=スウェルドロフスキーを通過。モスクワ時間と二時間の差。進んだのだ。列車は石造ステーションの二階にあたるような高いところに止る。駅の下、街に二台幌型フォードがあった。列車の中から見晴らせるだけのところにでも、いくつか新しい工場が建ちかけている。ウラル地方はこのスウェルドロフスキーを中心として、СССРの大切な石炭生産地、農業用トラクター生産地だ。一九三〇年、アメリカのキャピタリストがウラルという名をきいて連想するのは、もう熊狩ではない。
灰色を帯びた柔かい水色の空。旧市街はその下に午後のうっすり寒い光を照りかえしている。足場。盛に積まれつつある煉瓦。
十月二十八日。
水色やかんを下げてYが、ヒョイヒョイとぶような足つきで駅の熱湯供給所へ行く後姿を、自分は列車のデッキから見送っている。あたりはすっかり雪だ。СССРでは昔からどんな田舎の駅でも列車の着く時間には熱湯を仕度してそれを無料で旅人に支給する習慣だ。だからしばしば見るだろう。汽車が止るとニッケル・やかんやブリキ・やかんや時には湯呑一つ持ってプラットフォームを何処へか駈けてゆく多勢の男を。茶・急須・砂糖・コップ・匙。それをもっているのはСССР市民だけではない。我々だってもっている。
今日はコルホーズ(集団農場)の大きいのを見た。トラクターが働いての収穫後の藁山。そこへ雪がかかっている。
ああはやく、はやく! あっちに高い「エレバートル」が見える!(エレバートルは麦袋を貨車につみ込むための自動的運搬である。)
『コンムーナ』という地方農民新聞を手に入れた。五日に二度発行、十頁、オムスク鉄道バラビンスキー停車場内鉄道従業員組合ウチーク・そこが編輯所である。モスクワ発行の『イズヴェスチア』『プラウダ』なんかはもうどんなにしたって二十五日以後のものはよめっこない。我々は特急《クリエルスキー》にのっている。我々の列車が、モスクワを出て三日目だのに既に十八時間遅れながら、社会主義連邦中枢よりのニュースを、シベリアのところどころに撒布しつつ進行しているわけである。
この『コンムーナ』は二十七日の分である。深い興味で隅から隅まで読んだ。丁度今この地方は、牛酪《バタ》収穫時に入っている。「十月一杯でバラビンスキー地方は一九〇ツェントネル(百ポンド)の牛酪《バタ》をバタ生産組合へ支給する予定だ。十月二十日までに一三五ツェントネルを集めた。九月の生産予定計画を我々は七五パーセントしかみたすことが出来なかった。ところが十月は二十日間に予定の七一パーセントをみたした。組合員諸君及集団農民諸君! このテンポをおとすな!」そしてバタ生産に関する農村通信員の面白い批判が掲載されている。
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バタ工場の支配人を代えろ!
バタ工場上ナザロフスキーの支配人ゴルデーエフは生産に従事することを欲していない。工場は無管理状態に君臨されている。
工場が燃料に欠乏を感じぬ日は一日もない。工場用の水はきたない。そのために製造したバタの品質が低下する。
上ナザロフ村にもう一つバタ工場がある。そこの建物はひどい有様だ。扉はこわれている。寒くて働けぬ。
この間支配人はクラスノヤルスク村へ牛乳買上決算に出かけた。そこで彼は三昼夜べろべろにのんだくれ、その結果として、バタ工場に属す馬をどっかへなくしてしまった。
グロデーエフは三頭馬をもっている。以前グロデーエフは何人か小作人をもっていた。現在十九歳の小作人ニコライ・クリコフを使っている。
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手帖にうつしているとY、赤鉛筆をこねて切抜の整理しながら、
――何ゴソゴソしているのさ。
――知ってる? あなた。牛乳生産組合がどんな風に農民から牛乳を集めるか。
СССРで集団農業に移ろうとした時、農民及政府双方で一番困難したのは家畜の問題だった。穀類集団農業から集団牧畜へ。これは常に積極的刺戟を加えられている点である。この新聞で見ると牛乳協定は非常に農民の利益を計って改正されている。去年の牛乳協定は農民の消費を考慮せずにされた。つまり各農戸の人員を数えず、バラビンスキー地方一帯、牛一匹一年六・六ツェントネル平均として協定標準が定っていた。各農家別にすると、
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一頭持 四・六(ツェント)
二頭持 六・〇(同 )
三頭持 七・五(同
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