いんです。
女の声 でも沢山とるんでしょう? カンヅメ工場でも建てりゃいいのに。
思わず答えた。それっきりしずかだ。雪の上によわい日がさしてる。今日は何度もステーションでもないところで止って後もどりしたりする。
窓ガラスが壊れて寒いので、窓の方の側へずらして帽子をかぶり、外套片袖ひっかけて浮浪児みたいな風体で坐ってる。
二人で代り番こに本の目録を作るためタイプライターをうった。
十月三十一日。
雪の上にまつのきがある。黒く強い印象的な眺めだ。どっか東洋風だ。モンゴリア人が馬に車をひかせ長い裾をハタハタひるがえして足早に雪の中をこいで行く。
イルクーツク。一時間進む。
列車車掌の室は各車台の隅にある。サモワールがある。ロシアのひどく炭酸ガスを出す木炭の入った小箱がある。柵があって中に台つきコップ、匙などしまってある。車掌は旅客に茶を出す。小型変電機もある。壁に車内備付品目録がはってあるのを見つけた。
――モスクワへ帰るとみんな調べうけるんですか?
――そうです。みんな検査する。そのガラスがこわれたから我々二人で十一ルーブリ払わなけりゃならないんです。あなたの方のは犯人がつかまって書類が廻ったからいいが……
これで分った。一昨日食堂車へわたるデッキの扉のガラスが破れた時、何心なく、
――誰がわったの?
ときいた。すると、やっぱりこの若い、党員である車掌は珍しく不機嫌に、答えた。
――知らないです。
車掌は七十五ルーブリの月給を貰っている。СССРで勤労者は多くの権利をもち、例えば解雇するにも、工場で作業縮小の場合一ヵ月の内三日理由なく休んだ場合、二ヵ月以上収監された場合の外、大体労働者の承諾を必要とする。その代り責任はがっちり肩の上にかかっている。
十一月一日晴。
チタを寝ている間に通過した。一時間時計が進んだ。
〇時五分すぎ。
小さい木橋の上で列車が止った。
窓へ顔をくっつけて左手を見ると、そっちに停車場らしいものが見える。が、そこまでは遠く列車の止ってるのは雪に埋もれた丘の附近である。
――何てステーション?
ノヴォミールが廊下できいている。
――木のステーション!
人形を手にぶら下げて、わきに立っている姉娘が返事した。
むこうの方で、別の男の子が父親に同じ質問をしている。
――誰にも分らないステーションだよ。
靴にいっぱい雪をつけ、鼻のあたまを真赤にして手袋をぬぎながら車掌が入って来た。
――フーッ!
――何か起ったの?
――むこうの軟床車の下で車軸が折れたんです。もうすこしでひっくりかえるところだった。
ブリッジへ出て両手でわきの棒へつかまり、のり出して後部を見わたしたら、深い雪の中へ焚火がはじまっている。長靴はいて緑色制帽をかぶった列車技師が、しきりに一台の車の下をのぞいて指図している。棒材がなげ出してある。真黒い鉄の何かを運んで来て雪の中にころがしてある。山羊皮外套を雪の上へぬぎすて農民みたいな男が、車の下に這いこんだ。防寒靴の足の先だけが此処から見える。
日はキラキラさしている。雪は凍ってる。寒い。赤い房のついた三角帽をかぶった蒙古少年が雪をこいで、低い柵のむこうの家の見える方へ歩いて行く。犬があとからくっついて行く。
廊下へひっこんで来たら、むこうのはずれの車室から細君が首だけ出し、
――何が起ったんです?
良人は、ひろい背中を細君の方へ向け、脚をひらいて廊下に立ちパイプをふかしながら、
――エピソードさ。
そういう返事をしている。
蒙古人の村はどこでも犬が多いな。――……
列車は修繕のために二時間以上雪の中にとまっていた。
ほとんど終日、アムール河の上流シグハ川に沿うて走る。雪、深し。灌木地帯で、常磐木は見えない。山がある。民家はシベリアとは違い薄い板屋根だ。どの家も、まわりに牧柵《チャシ》をゆって、牛、馬、豚、山羊などを飼っている。家も低い、牧柵《チャシ》もひくい。そして雪がある。
川岸を埋めた雪に、兎か何か獣の小さい足跡がズーとついている。川水は凍りかけである。
風景は、モスクワを出た当座の豊饒な黒土地方、中部シベリアの密林でおおわれた壮厳な森林帯の景色とまるで違い、寂しい極東の辺土の美しさだ。うちつづく山のかなたは、モンゴリア共和国である。
十一月二日。晴れたり曇ったり。
列車の窓とすれすれにごろた石の山腹がある。ひる頃外を見ても、やっぱりそれと瓜二つなごろた石の山腹が窓をかすめて行く。
――退屈な景色!
――ベザイスが、実はあんたのところの同じような山には、もうあきあきしてるんですと云ったわけだ。
芸術座小舞台で「我等の青春」という国内戦時代のコムソモール(青年共産同盟員)たちの感情、若さから誤謬は犯しながら
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