雄々しく実践でそれを清算する働きぶりなどを歴史的に見た劇を上演している。ハバロフスクへ潜行運動にベザイスが、絵を描いた貨車にのっかって行く。その中途から頼まれてのせてやった娘とそう話すのである。
 我々の列車もモスクワを出て九日目。ハバロフスクの手前を走っている。
 ある小さい駅を通過した時、女がにない棒の両端へ木の桶をつって、水汲みに来たのを見た。駅の横手の広っぱに井戸がある。井戸側は四角い。ふたがちゃんとついている。大きな輪があって、そこについている小さいとってで輪をまわし、繩をゆるめて水を汲みあげる仕掛になっている。シベリアの方でも田舎の井戸はこんな形だった。
 日本でも女が水汲みをする。ロシアでも女がやっている。そして、この担い棒をかついだ女村民の部落には村ソヴェトの赤い旗が雪の下からひるがえっている。
 景色が退屈だから、家に坐ってるような心持でいちんち集団農場『|集団農場・暁《コルホーズ・ザリヤー》』を読んだ。
 一九二八―二九年、ソヴェト生産拡張五ヵ年計画が着手されてから、社会主義社会建設に向って躍進しはじめたのは、直接生産に従事している労働者ばかりではない。画家も、作家も、キネマの製作者も総動員を受けた。彼等芸術労働者は、新しいソヴェト生産拡張の現実、それにつれていちじるしい変化を生じた労働者農民の日常の生活状態、社会的感情などを芸術の内にいきいきと再現し、さらに芸術を通して民衆の階級的自覚を社会主義社会の完成に向って一歩押し進めようとする重大な階級的役割をもった。
 若いキネマ製作者たちはカメラをもって、農村へ、炭坑へ、森林の奥へ進出した。(そして、日本のキネマ愛好者はトーキョーで、傑作「トルクシブ」を観た。)
 作家、記者は、彼等の手帖が濡れると紫インクで書いたような字になる化学鉛筆とをもって、やっぱり集団農場を中心として新生活のはじめられつつある農村へ、漁場へ、辺土地方(中央|亜細亜《アジア》やシベリア極地)へ出かけた。作家の団体は有志者を募集し、メイエルホリドの若手俳優や劇場労働青年《トラム》の遠征隊と一緒に、特別仕立の列車で文化宣伝にモスクワを立った。
 いろいろ面白い農村新生活の記録の報告が現れた。国立出版所は、五カペイキや二十カペイキの廉価版を作って、それ等を売り出した。
『|集団農場・暁《コルホーズ・ザリヤー》』十五カペイキ。|集団農場・暁《コルホーズ・ザリヤー》が、つい附近の富農の多い村と対抗しつつどんな困難のうちに組織されたか、どんな人間が、どんなやり方で――うすのろの羊飼ワーシカさえどんな熱情で耕作用トラクターを動かそうとしたか、そこには集団農場を支持するかせぬかから夫婦わかれもある農村の「十月」を、飾らない、主観を混ぜない筆致で短かいいくつかの話に書いてある。
 新しい力が、古い根づよいものによって決められ、しかしついにはいつか新しい力が農村の旧習を修正してゆく現実の有様を描いてある。こういう本は字引がいらない。

 十一月三日。
 時計がまた一時間進んだ。すっかり極東時間――日本と同じ時間になった。モスクワでは、時々夜おそくなるまで何かしていてふと思い出し、
 ――今日本何時頃だろ。
 ――今――二時だね、じゃ九時だ朝の。もう学校がはじまってる――
 そんなことを話し合った。
 だがこのウラジヴォストク直通列車は、二十何時間かもうおくれたのである。本当は今夜ウラジヴォストクについている筈だったのに、恐らく明日の夜までかかるだろう。十日も汽車にのると、半日や一日おくれるぐらい何とも思わない。みんなが呑気になる。そして、段々旅行の終りになったことをたのしんでいる。
 ――これでウラジヴォストクまでにもう何時間おくれるだろうね。
 ――五時間は少くともおくれるね。
 ――まあいいや、どうせウラジヴォストクより先へこの汽車は行きっこないんだ。
 廊下で誰か男が二人しゃべっている。
 東へ来たらしい景色である。樹にとまっている雪がふっくり柔かくふくらんでいる。
 夜食堂車にいたら、四人並びのテーブルの隣りへ坐った男が、パリパリ高い音を立てて焼クロパートカ(野鳥の一種)をたべながら、ちょいと指をなめて、
 ――シベリアにはもう雪がありましたか?
と自分にきいた。ほんとに! 沿海州を走っているのだ。
 食堂車内は今夜賑やかだった。ずっとモスクワから乗りつづけて来たものは長い旅行が明日は終ろうとする前夜の軽い亢奮で。新しく今日乗り込んで来た連中は、列車ではじめての夕飯をたべながら。――(汽車の食堂は普通の食堂《ストロー※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]ヤ》より御馳走だ。)シベリアに雪はあるかと訊いた男が通路のむこう側のテーブルでやっぱりクロパートカをたべている伴れの眼鏡に話しかけた。
 ――ど
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