りましょう。
自分の思いつきを大切にして、それを実現してゆく方法を、根気よく見つけてゆく人間を作らなければなりません。
人間の社会には、いろいろの行きちがい、矛盾、醜いことがあるけれども、最後のところへゆけば、人間は道理に従って生きるものである、という、動かすことの出来ない天下の真理を、稚い心のうちに明るく、しっかりと植えつけてやらなければなりません。
そのために母親は、自分の都合でばかり子供を叱らず、忙しくても辛抱して、とっくりと子供の言い分をきいてやり、親の思いちがいであったならば、さっぱりと、母さんが間違えていてわるかったね、ごめんよ、と云ってやることが大切です。こういう親の扱いこそ、子供にとっていいつくせないよろこびであり、尊敬であります。子供が将来、独立人としての見識をもち、同時に、美しい寛大さと、威厳を失うことのない譲歩とを学ぶ、みなもとです。
日本が民主の国にならなければならない、その大切な毎日の発展は、こういう母たちの心がけのうちに、かもされてゆくのだと思います。
このように明るく、親も子も同じように、道理には従うというきちんとした習慣で育てられれば、男の子も女の子も、おのずから動作もしっとりとし、正しいことに従う素直さをもち、互に扶け合う気風も出来ます。
躾にも筋がとおる、ということが大切です。手足の上げおろしを細々と、やかましくいって、肝腎の性根に及ばない躾は、最悪です。
今日男女の青年たちの或るものが、形式ばった挨拶だけは上手で、一向に公徳心も、若者らしいやさしさもない心でいるのは、形式一点ばりであった軍事的教育の害悪です。
女の子だからと云って、女のくせに、と禁止ばかり多い育てかたをする時代でないことは、もう申すまでもないことです。
人間を育てる根本の精神では、男の子も女の子も、同じであってよいと思います。
女の子は、愛嬌がないときらわれる、意志がつよいと敬遠される、と、受け身にばかり育てられた日本の若い女性が、今日、どのような姿で、この古い日本の躾の欠陥を社会に示しているでしょうか。
世界の人が、日本の謎の一つとする「日本人の笑い」というものがあります。本当に嬉しいこと、おかしいこと、楽しいことが一つもないのに、日本人はいつもぼんやりした微笑を、顔の上に漂べている、と、不思議に気味わるく思うのです。
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