会の状態であるとは、いいかねます。国民学校の教育も戸惑っている形ですし、住宅難の問題もあり、子供は可哀そうに、悪くなってゆくどっさりの条件の中に、さらされております。
こういう困難の中で、公明正大な人間を作ろうとするのは、理想論だといわれるかもしれません。しかし、子供は実に敏感です。
同じ辛苦をしながらも、親たちが、いつも明るい愛と勇気と、率直公平な物わかりよさをもって困難をしのいでゆくならば、子供たちは、困苦の中にも伸び伸びとして育つものです。これまでにしろ、誰が金持の子なら必ず立派だと考えていたでしょう。却って、あれは、金持の息子さ、という言葉には、人間として、余り期待しないという意味が仄めかされていたではありませんか。
躾の根本は、真面目に社会のために働く人間としての誇りの自覚であると、信じます。
こまかい実際問題として、躾の一つに欠かされないことがあります。それは、これからの日本人は、ひとから意見を問われたとき、これまでのように、あいまいに「サア、私はどうでもいいんだが――」という風な返事をしないようにならなければならないということです。問われたことをよく考えてみて、よいならよい、悪いならわるい。もし又、はっきり分らなければ、そのとおりに、はっきり分らないと答える習慣を持たなければなりません。今すぐ返事が出来ないから、待ってくれという場合もあるでしょう。いずれにせよ、明白に責任のある答えをする習慣を身につけなければなりません。
これまでの私たち日本人は、大事なことはみんな役所まかせで、肝腎の命さえ、自分の勝手にはなりませんでした。役所は、小さな区役所から内閣まで、一度で用のすまないのが普通です。云ってみれば、これまでの私たちには、自分で自分がままならず、自分で自分のことがすっかり分ってもいなかったのです。従って、日本人の返事の曖昧さは、世界でおどろかれる特徴の一つとなりました。私たちは、この習慣をやめなければなりません。
はっきり返事をして、ひとの意見も落付いてきくという躾は、日本人にとって、思っているより大切です。
ひとがものを云っているときには、わきから口を出して邪魔をしてはいけません。自分の気に入らない意見でも、しまいまでチャンときいて、堂々とそれを討論してゆく人間にならなければなりません。
自分で考えてみる力を、守り立ててや
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