新しい躾
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)遑《あわただ》しく
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四六年四月〕
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この半年ばかりのうちに、私たちの生活におこった変化は、日本のこれまでのいつの歴史にもその例がないほど、激しいものです。日本は今、非常な困難とたたかいながら、一日も早く民主の国となり、平和の保証された国となり、世界に再び独立国として登場するための努力をはじめております。
これからの私たち日本人は、世界に恥しくない市民として、どういう風でなければならないでしょうか。新しい躾の問題も、こういう広い、雄大な立場から考えられなければならないであろうと思います。
躾という字をみますと、美しく身をもつ、ことと思えます。美しく身を持した生活態度というのは、どういうことをさしていうのでしょう。
昔から躾というと、とかく行儀作法、折りかがみのキチンとしたことを、躾がよいといいならわして来ました。しかし、今日の生活は遑《あわただ》しく、変化が激しく、混んだ電車一つに乗るにしても、実際には昔風の躾とちがった事情がおこって来ています。しとやかに、男の人のうしろについて、つつましく乗物にのるのが、昔の若い女性の躾でした。
毎朝、毎夕、あの恐しい省線にワーッと押しこまれ、ワーッと押し出されて、お勤めに通う若い女性たちは、昔の躾を守っていたら、電車一つにものれません。生活の現実が、昔の形式的な躾の型を、押し流してしまいました。
けれども、私たちの心には、やはり美しく、立派な生きかたをしたいと思う念願は、つよくあります。そうだとすれば、新しい躾の根本は、第一に、毎日の荒っぽい生活に、さらわれてしまわないだけの根深い根拠をもつものでなければならないということが分ります。そのように、しっかりした躾は、どこから、生れて来るものでしょうか。
親が子供を躾けるとき、先ず願うことは、体が丈夫であることの次に、正直な、公明正大な人間になって欲しいということであると思います。
子供たちが、正直な、公明正大な人間となってゆくために、果して現在の社会の有様は、ふさわしいものでしょうか。
子供たちが、いつもおなかをすかしていなければならないという、事情一つを考えてみても、子供のためによい社
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