のこのみとはどういうものだろう。こまかくしらべれば大変複雑で、音楽好き、映画好き、スポーツ好き、様々ではあるが、大体、人間として一応興味をひかれることがらというものはある。衣、食、住のこと、それから恋愛など、愛と憎しみの諸問題。その素朴ないくつかの主題は、その社会がそのときおかれている歴史的な条件で、さまざまに表現をかえて来る。衣、食、住、愛憎の問題だけを見ても、戦争中は、人間的な欲求の一切を抹殺した権力によって、そういうテーマは、すべて自然の文明的な主張をかくし、軍国主義への献身だけが強調された。小説にしろ、そうだった。大衆のこのみは、そこに追いこまれ、すべての出版物がそういう傾向であった。
 だから、そういう時代に本をよみはじめる年ごろになった若いひとたちは、偶然よんだ小説が、竹田敏彦であったり、尾崎士郎の従軍記であったり、火野葦平の麦と兵隊であったりした。本をよむことそれ自体が、一人の人間の生活の環のひろがりを意味するし、心の世界の拡大を意味することは、ゴーリキイの思い出に云われているとおりだから、あの時代、ひとは、一冊の本をよめば、よむほど、その偶然によって戦争気分へひきこまれ
前へ 次へ
全14ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング