と、女の職業的な進出や、生産へ労働力として参加する数や質のひろがりに逆比例して、女らしい躾みだとか慎しさとか従順さとかが、一括した女らしさという表現でいっそう女につよく求められて来ている。日夜手にふれている機械は近代の科学性の尖端に立っているものだけれども、それについて働いている若い女のひとに求められている女らしさの内容のこまかいことは、働いている女のひととして決して便利でものぞましいものでもないという場合は到るところにあると思う。そういうことについて苦痛を感じる若い女の心が、真率にその苦痛を社会的にも訴えてゆく、そこにも自然な女らしさが認められなければならないのだと思う。女自身が、女同士としてそのことを当然とし自然としてゆく気持が必要だといえると思う。こういう場合についても、私たちは女の進む道をさえぎるのは常に男だとばかりは決していえない、という現実を、被いなく知らなければならないと思うのである。
女の本来の心の発動というものも、歴史の中での女のありようと切りはなしてはいえないし、抽象的にいえないものだと思う。人間としての男の精神と感情との発現が実にさまざまの姿をとってゆくように
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