どりに常に何か女らしさの感覚を自ら意識してそれに沿おうとしたり、身をもたせようとしているところに女の悲劇があるのではないだろうか。いい意味での女らしさとか、悪い意味での女らしさということが今日では大して怪しみもせずにいわれ、私たち自身やはりその言葉で自分を判断しようともしている。つまり、その観念の発生は女の内部にかかわりなく外から支配的な便宜に応じてこしらえられたものだのに歴史の代を重ねるにつれてその時から狭められた生活のままいつか女自身のものの感じかたの内へさえその影響が浸透してきていて、まじめに生きようとする女の総てのひとは、自分のなかにいい女らしさだの悪い意味での女らしさだのを感じるようになっているそのことに、今日の女の自身への闘いも根ざしていると思われるのである。
男が主になってあらゆることを処理してゆく社会の中で、女に求められた女らしさ、その受け身な世のすごしかたに美徳を見出した根本態度は、社会の歴史の進む足どりの速さにつれて、今日の現実の中では、男自身、女自身の実感のなかで、きわめてずれた形をとっていると思われるがどうだろうか。昔の女らしさの定義のまま女は内を守るものという観念を遵守すれば、国防婦人会の働く形体にしろ現実にそれとは対置されたものである。内を守るという形も、さまざまな経済事情の複雑さにつれて複雑になって来ていて、人間としてある成長の希望を心に抱いている男のひと自身、すでに、いわゆる女らしく、朝は手拭を姉様かぶりにして良人を見送り、夕方はエプロン姿で出迎えてひたすら彼の力弱い月給袋を生涯風波なしの唯一のたよりとし、男として愛するから良人としての関係にいるのか月給袋をもって来るから旦那様として大事に扱われるのか、そのところが生活の心持で分明をかいているというような女らしさには、可憐というよりは重く肩にぶら下る負担を感じているであろう。
そんな心持で安心しては過せない自分の心を、多くの若い女のひとたちは自覚していると思う。人間として成長のためには、本当に愛情を育ててゆけるためにも、社会生活のひろさの中に呼吸して職業をも持って結婚生活をしてゆきたいと思う。そういう希望も現在では女の本心から抱かれていると思う。ところが、職業の種類で結婚のあいてにめぐり合うことがむずかしくなったり、結婚生活と職業とが労力的に両立しがたかったりして、そういう困難にぶ
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