。不幸にもまたここに実父の側との戦いがはじまって、良人の軍は敗れたので、夫人の実父は前例どおり、また夫人を救い出そうとしたのであった。これまでまことに女らしく父の命のままに行動した娘に、今回も父が期待していたことは、彼女の無事な脱出と身の平安とやがて輝くような美貌によって三度目の縁につくこと、そのことで父の利益を守ることであったろう。しかし、その麗しくまた賢い心の夫人の苦悩は、全く異った決心を彼女にさせた。最初の良人の許をも彼女は決して愛を失って去ったのではなかった。二度目の良人に縁あって妻となって、二人の美しい娘たちさえ設けた今、三度そこを去って行手に何が待っているかということは、彼女には十分推察のつくことであった。二人の娘の女としての行末もやはり自分のように他人の意志によってあちらへ動かされ、こちらへ動かされするはかないものであって見れば、後に生き永らえさせることも哀れと思うからというはっきりした遺書をのこして、娘たちをわが手にかけて自刃したのであった。当時の周囲から求められている女らしさとはまるでちがった悽愴な形で、その夫人の高貴で混りけない女の心の女らしさが発揮されなければならなかったのであった。女らしさの真実なあらわれが、過去においてもこのように喰いちがった表現をもつというところに、女らしさの含んでいる深刻な矛盾があるのではないだろうか。そして、形こそさまざまに変転していながら今日の私たちも、やはり一層こみ入った本質でその同じ女らしさの矛盾に苦しんでいるのではないだろうか。
ヨーロッパの社会でも、女らしさというものの観念はやはり日本と似たりよったりの社会の歴史のうちに発生していて、あちらでは仏教儒教の代りにキリスト教が相当に女の天真爛漫を傷つけた。原始キリスト教では、キリスト復活の第一の姿をマリアが見たとされて、愛の深さの基準で神への近さがいわれたのだが後年、暗黒時代の教会はやはり女を地獄と一緒に罪業の深いものとして、女に求める女らしさに生活の受動性が強調された。
十九世紀のヨーロッパでさえ、まだどんなに女の生活が女らしさで息づまるばかりにされていたかということは、ジョルジュ・サンドの「アンジアナ」を序文とともによんで感じることだし、ジェーン・オウスティンやブロンテ姉妹の生涯の実際を見ても感じられる。二十世紀の初頭、イギリスでヴィクトリア女皇の治世時代
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