よびさますものであったかがうかがわれる。その封建時代の女心が男女にこぼさせた涙が今日でもまだ私たちの生活の中では完全に昔の物語となり切っていない有様である。
女らしさ、という表現が女の生活の規準とされるようにまでなって来た社会の歴史の過程で、女がどういう役割を得てきているかといえば、女らしさという観念を女に向ってつくったのは決して女ではなかった。社会の形成の変遷につれ次第に財産とともにそれを相続する家系を重んじはじめた男が、社会と家庭とを支配するものとしての立場から、その便宜と利害とから、女というものを見て、そこに求めるものを基本として女らしさの観念をまとめて来たのであった。それ故、女らしさ、という一つの社会的な意味をもった観念のかためられる道筋で女が演じなければならなかった役割は、社会的には女の実権の喪失の姿である。
女らしさは一番家庭生活と結びついたものとしていわれているかのようでありながら、そういう観念の発生の歴史をさかのぼって見れば、現代でいう家庭の形が父権とともに形成せられはじめたそもそもから、女ののびのびとした自然性の発露はある絆をうけて、決して万葉時代のような天真なものであり得なくなっているということは、まことに意味深いところであると思う。
源氏物語の時代にしろ、女らしさは紫式部が描き出しているとおりなかなか多難なものであった。仏教や儒教が、女らしさにますます忍苦の面を強要している。孟母三遷というような女の積極的な判断が行動へあらわれたような例よりも、女は三界に家なきもの、女は三従の教えにしたがうべきもの、それこそ女らしいこととされた。従って女としてのそういう苦痛な生涯のありようから人間的な成長、達観へ到達する道は諦めしかなく、諦めということもそれだから女らしさといわれる観念の定式の中には一つの大切な要素としてあげられて来ているのである。
戦国時代ある大名の夫人が、戦いに敗れてその城が落ちるとき、実父の救い出しの使者を拒んで二人の娘とともに自分の命をも絶って城と運命を共にした話は、つよく心にのこすものをもっていると思う。当時の男のこしらえた女らしさの掟にしたがって、その夫人は最初ある大名の許に嫁しずけられた。ところが、その時代の政略にしたがって実父はその娘の良人と不和に到ったら娘を強いてもとり戻して、さらに二度目の良人であるその城主に嫁しずけた
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