うに、黙って頭を振り眼の裡で笑った。
三
保夫の側から見ると、さよは近頃特に濃やかに気の利く妻となって来た。
彼女は、一つでも、未だ口に出して云われない彼の希望や要求を察して、仕とげたのを発見すると、ひどく忻《よろこ》んだ。普通妻が、良人の満足を見て自分も好い心持になるという以上のものが、さよにはあった。彼女にとって、そのことが出来たのは――保夫が、
「ほう、あるね。実はもうそろそろ買って来なければいけないと思っていたんだが」と、新しいオー・ド・コローンの瓶を手にとるのを見るのは――つまり自分の感じが間違ってはいなかった証拠であった。さよはそこから二重の嬉しさを得たのである。
時によると、また、彼女は何か云い出そうとする保夫の口先を、
「あ、一寸待って。云わないで、云わないで」と、あわてて遮ることがあった。夕飯後、彼等は定って八時頃まで雑談した。夕暮の気持よい日には縁側に並んで腰をかけたり、庭をぶらついたりしながら。――そういう時、話の続きを中絶させて、さよは熱心に、
「あ! 一寸待って」
を叫ぶのであった。保夫は、兵児帯の後に両手をさし込んだまま、訝しそうに
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