若し自分が小さい子供の母であったら、その娘か息子かは、きっと、自分が感じたと全く同じ当惑、悲しさ、当のない義侠心に繊い指を震わせて、「云ってあげるから! ね、泣かないでよ」と云うだろう。然し彼等も、また自分の通り、その涙を眼から流す時が来るまで父に向って何を云うべきかはちっとも理解しないのだ。……
彼女の精神はだんだん鎮って、母と自分との間に過ぎた十数年が、女性の一生にどういう意味を持つか、考えなおすだけの余裕を持って来た。
結婚するまで幾度か、さよは形こそ異え、同様の訴えを母からきかされた。その度毎に、彼女が母に与えた慰安の言葉も、考えて見れば、僅に語彙が年と共に幾分豊富になったきりで、内容は、十二三の時と同じ「泣かないで、よ!」というだけのものであった。彼女は、自分が、実際母の苦痛を軽めるには、何の足しにもならなかったのを回想した。ただ母にとっては、無意味に近い言葉を繰返す彼女が、自分の娘であると云うところにだけ、確に、心からの当惑や気の毒さを感じられているというところにだけ、彼女の言葉の価値はあったのだ。
母は、殆ど一生、老いて激しい情熱の失せるまで、解決されない苦労を負うて生きた。
彼女の満されなかった若々しい一心さ、理想的な生存を希う、哀切な人としての願望は、皆消極的な悲しみ、煩悶に精力を消耗されて鎮められた。それだのに――さよは、新たな駭きを以て考えた。――彼女の母は、あれほど勇み立って、女性の天国へは保夫が案内でもされるように、華やかに自分等二人を結婚させたではないか!
さよは、殆ど愚に近い矛盾をそこに認めた。が、猶考えて行くうちに、彼女は、母のいとしさにひしひしと迫られた。母は、自身の一生で実現されなかった更に沢山の夢、人の夢、女の夢を、自分にこそ味わせこの世に持たせようと、結婚もさせ、世に送り出しもしたのではなかろうか。母の母が、明治の始め、長い絹房の垂れた插頭花《かんざし》をかざした自分の娘に希い望んだ通りに。
宿題は、代々解かれきれず、彼女にまで伝えられた。
さよは、自分が受けとったままの白紙で、或は半端な数行で、力の足りなさを示したままで、次の娘の代に譲りたくなかった。何とか答を見つけ出し、祖母や母の感傷なしに、
「私はこれをこう解いた。――お前は何と思う? どう解きますか」
と云い得たかった。
彼女は、自分の一生までが、祖先
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