いで波だった。きょうの若い少女たち――女性は「伸子」よりははるかに前進した社会性と、自分を生かす可能をもっている。それにもかかわらず、日本の家、家庭、夫と妻の関係の現実の大部分には、なお彼女たちに「伸子」をひとごとと思わせない苦悩の要素が実在している。そうではあるが、それが二十五歳だった「伸子」によってではなく、十六七歳の若い女性によって自覚され、そこに抵抗と発展が準備されつつあるという現実は、作者に限りないいとしさと勇気とを与えた。
一九四六年か七年に福田恆存が、ある文学を卒業する必要について若い女性へ語る文章をかいたことがあった。福田恆存は、宮本百合子の文学を早く卒業してしまうように、と忠告していたのだった。一つの社会が、ある文学を卒業する[#「卒業する」に傍点]という場合、それは、どういう状態をさすのだろう。ある読者の人生経験の角度が、ある作家の人生と文学の角度とくいちがって来て、そこに共感が失われるという事実はしばしば起り得る。けれどもこの場合は、一つの社会が、ある文学を生きこしてしまったこと――卒業したことにはならない。「伸子」を書いたのち、一九三〇年の中頃から、私は、机の
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