職業のふしぎ
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)肯《うけ》がいかねる
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四〇年十月〕
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作家や評論家というものが、女の生活についてどういう考えかたをしているかということは、一応わかりやすいことのようで案外めいめいにとってもわかりやすくない部分を内部にもっているのではないだろうか。
文学の世代的な性格に即して云えば、石川達三、丹羽文雄、高見順などという諸作家が新進として登場した当時、一時代前の新進は女に捨てられたり失恋したりして小説をかいて来ていたものだが、現代の新人は反対に女を足場にして登場した、ということが云われた。そういう批評には、卑俗なものの云いかたも一面に伴っているのだけれども、それでもやはりそこには無視されない何事かが関係していたことは、それから今日までのこれらの作家の生きかたや仕事の内容に語られている。
大きい歴史のうねりで眺めれば、明治二十年末期の『文学界』のロマンティシズムがその踵をしっかりとつかまえられていた封建の力を、殆どそれなり背面にひっぱったまま大正末から昭和の十年間という時期をも経て、今日の、或る点から云えば極めて高度な近代の秩序に適応していてしかも本質の土台は遠く遠く数百年にさかのぼり得るような状態に来ている。昔を今に、今や昔という複雑さは、日本の四季がこまごまと文学に映っているとおり、文学の作品のなかに生きている。そこに、世界文学史のなかでみた現代日本文学のつきぬ意味あいがあるわけであろう。
同じような複雑さが、女の生活というものについて考える作家や評論家の頭脳的な要素または心情的なものに反映しているのではないだろうかと思う。
『文学界』のロマンティストたちは、自分たちの人間的存在への主張と一つものとして、女の成長を要望していた。若々しいその情熱は、習俗とのぶつかりで深く傷き、透谷のような人をも出した。
ロマンティストたちの破れた夢のみなもとまで探り入って、その底にある仕組みにふれて、人間再建がのぞまれた時代を経て、最近の数年は多くの作家・評論家にとって、女は題材であり無視出来ない読者ではあるが、真の芸術的な主題として把握して、その運命のおきふしをわが運命のおきふしにかかわりあるものとして真摯に作品の世
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