である。この同じ人々のPTAが、平和投票のすすめには、どのように反応し行動したであろうか。子供たちの将来[#「将来」に傍点]は、そこに平和な社会というものを考えなければ、なりたたない。軍夫になるかもしれない子供たちの将来[#「将来」に傍点]を、肯定することのできるただ一人のPTAの親もいないであろう。だけれども、もしかしたら、ここのPTAでも、ストックホルム・アッピールは「一部のものが、ためにするところのある」運動だという宣伝にのっているのかもしれない。教育委員の選挙に、保守的な人ばかりが多数を占めた事実は、教育の前提として平和を求めている候補者は、アカらしい、と思われたのかもしれない。このPTAの親たちが、真実子供の将来[#「将来」に傍点]について関心をもつならば、親としての自分たちが、平和についてどう考え行為しているか、教師たちの教育の方針は、平和の価値について子供たちに何を教えつつあるか、その点にまでふれてゆくのは必然であるだろう。
 青少年の悪化が問題になり、その角度から十代《ティーン・エイジャ》が注目され、文相天野貞祐は、日の丸をかかげること、君が代を唱うこと、修身を復活させ
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