得るだろうか。
人民男女の生活の問題として、婦人の諸問題があるということが理解されている以上、こんにちの歴史の現実で、人民生活そのものに対する破壊力とたたかってゆくことこそ、基本的な環であることは、もはや、誰にとっても明瞭ではないだろうか。
ここに若い愛人たちがある。互にまごころをつくして愛しあい、新しい生活形態を研究して生きようとしていたとしても、日本の人民全体がもし無抵抗に戦争にひきこまれて行くとしたら、二人の人間としての善意は、どこに生かされよう。男は戦線にひき出される。女は、そのような戦争に反対するということで、アカだとされて失業したら、そこに、東條時代の日本と、何の相異が見出せるだろう。
池上の小学校の父兄たちのPTAは、特殊喫茶を学校のまわりに建てさせないための運動をおこして、成功した。このPTAの成功は、文教地区を道徳的に清潔に保つことを政府に理解させた。このPTAの親たちは、みんな子供の将来[#「将来」に傍点]について、人間らしい豊かさ、正しく生きる者を育てたいという希望を抱いている人々である。親としてのそういう希望が、まちがっていないことを確信し、行動した人々
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