人民は、自分たちの日々の建設に、確固とした永続性を見出しにくい動揺した心理で暮すことになる。この生活も、いつどうなるかわからないという場合、大部分のひとの心もちは目先の平安にあざむかれやすくなる。刹那の快楽にも溺れやすい。そして、それらの平安や快楽は、常に人間の官能の面に触れたものである。理性をしびらせ、ストリップ・ショウについて獅子文六が書いているとおり、何も彼にも忘れさせる、そのようなデカダンスが、社会にはびこる。そのような雰囲気の中で、人間らしい男女の愛の営みが、どういう風に破壊されるか。きょうはそれについて考えていない人はない。
戦争を恐怖し嫌悪するわたしたちは、その戦争をなくするためにこそたたかわなければならない。その自明な判断は、一定の行動を必要とするし、組織を必要とするし、当然、戦争を挑発するものとの摩擦に抵抗しなければならない。どうせ、また、と戦争の恐怖に理性をしびれさせられて、戦争とのたたかいを放棄してしまったとしたら、第二次大戦後のきょうの世界で、われわれが生きている、というそもそもの理由がどこに在るだろう。殺されるまで、ただ生きている――そんな人間の存在が、あり
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